iPhone6発売の影で考えたこと

アップルからiPhone6が発売されて以来、秋葉原ではauやソフトバンク、ドコモの契約者争奪戦が繰り広げられている。それは秋葉原だけの問題ではなく、大手ネットサイトやIT系の有名雑誌でも同様だ。どこも同じようにiPhone6の話題でもちきりなのだ。

そんな中、私は一人冷静にIPhone6を見つめている。

iPhone6は確かに優れた製品だと言える。

アップルの技術はスティーブジョブズがいなくなった今でも健在で、iPhone6は着実に進化した製品だ。

使いやすく、高性能で、しかも画面の大型化によって格段に見やすくなった。

その利便性は計り知れないものだろう。

だが、私はiPhone6にはいまいち興味が持てない。

iPhone6はいわば私の想像した範囲の中での進化だった。

そのどの機能においても、私に驚きと衝撃を与えない。

全く製品にそそられるものがないと言ってもいい。

そういう製品は私にとっては退屈なのだ。

だが、これはアップルだけの問題ではないかもしれない。

最近のスマホやタブレットは、「革新性」という意味ではインパクトがない。

どれもが前モデルからのバージョンアップを繰り返しているに過ぎないように思える。

アンドロイドのタブレットにおいては、高性能でありながら最新のタブレットが1~2万ほどで買えるようになった。

0円ウインドウズが普及すれば、ウインドウズタブレットでも同じような現象が起こるだろう。

そうなれば、OSに関わりなく、誰もがタブレットを持つ時代がくる。

現に最近ではスマホが高齢者にも、中高生にもかなり普及してきている。

私が考えているのは、そうした誰もがスマホやタブレットを持つ時代のことだ。

このとき、同じように前モデルのバージョンアップを繰り返している企業は間違いなく債務を抱えることになるだろう。

スマホやタブレットは、今までになかった付加価値が必要だし、革新性を前面に出さなければ売れなくなる。

だが、その「付加価値」なり、「革新性」というものがメーカーの人たちには思い浮かばない。

ソニーから発売されたXperia Z3も、そんな葛藤の中で苦しみながら発売されたものだ。

プレステと連携させるということに目新しさがあるのだが、正直、ヒットする兆しは見当たらない。

スマホはエンターテイメントの一つとして使える道具だが、それ以上に、私たちの日常生活をサポートする機能も持っている。

どちらかといえば、そのサポートする機能を発明していく方に今後のスマホの未来がかかっているのではないか。

同時に考えていかなければならないのは、新なた市場の開拓だろう。

 

晩年のスティーブジョブズは、明らかに「教育」市場に目を向けていた。

何十年もの間、なんら変化が起きていない教育市場には、大きなイノベーションを起こせる可能性があり、巨額の利益を生む可能性を秘めている。

しかし、スティーブジョブズ亡き後のアップルは、積極的に教育市場に打って出ることはなかった。

これをチャンスととらえる企業がなぜないのだろうか。

例えば、ソニーには、いち早く教育市場に打って出る技術力がある。

電子書籍端末を製造した成果や電子ノートを販売した実績もある。

もちろんスマホやタブレットで培った技術力もあるだろう。

それなのに、ソニーは競争の激しいスマホやタブレットで勝負し、結果巨額の負債を抱え込むことになった。

ソニーが考えなければならないのは、スマホやタブレットの付加価値だけではない。

今後、スマホやタブレットが活きる市場はどこなのかを見極め、そこに積極的に資本を投入して市場を作りあげることだ。

もはやスマホやタブレットを製造するだけで利益を出せる時代は終わった。

消費者はいずれ、そんなものには見向きもしなくなるだろう。

新たなスマホやタブレットには、それを活かす新たな市場が必要だ。

その市場を開拓することなしに、今後スマホやタブレットが発展していくことはないだろう。